まりちゃんへ。
近ごろの雑感をひとまず徒然なるままに綴ってみたんだけど、なんだかフェミ感強い文章になってしまった…。毛色違うなら書き直します。
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私には今年5歳になる娘がいるんですが、彼女がお年頃になるときには女が生きやすい世の中になってくれんかなと常々思っている。
それは、私が常々この世は女が生きにくいなーと思っている裏返しであるんだけど、人からの視線を無駄に意識しすぎることに飼いならされている私達は、普段の行動ひとつひとつよく分からん人からの視線にびくびくしている、無自覚に。
SNSで #NoBagForMe というタグがある。紙袋いりません、というのはコンビニやドラッグストアで生理用ナプキン買う時に紙袋に入れられてからビニール袋に入れられる…というあれ。なぜ隠す?私隠さなくてもええんやけど?裏取引でも違法薬物でもなく、ちゃんと店頭で販売しているものを然るべき用途で使用するのに紙袋で隠されている。これは日本のよく言うと丁寧・親切・おもてなし、悪くいうと丁寧を大幅に履き違えてる感情が暴発したもの。いや、私はナプキン買ってるのバレたら恥ずかしいから紙袋に入れてほしい、という人もいるかと思う。じゃあネットで買うとか、自分でエコバッグ的な透けない袋持参で行くとか、どうかしら。わざわざ運搬時にナプキンを隠すためだけに存在する茶色い紙袋がなくてもいい世の中になってほしいと思う。そのためにはあのフローラル一辺倒の色彩や、そんな大きな声で言わなくてもわかるから…とハラハラしちゃう超特大ゴシックでバーンと書かれてる「多い日でも安心!!!!」も、もうちょっと落ち着いたパッケージならええのにね。紙袋いらないのにね。
ここ数日でも某ケータイショップが女性従業員のヒールをやめたってニュースがあるけど、そもそも!そんなん言われなくてもいやなら履かない!履きたいなら履く!ってのが当たり前ならどんなに楽か。ヒールの女性従業員からじゃなきゃケータイ買わない、とか、なんでお前の会社は女性従業員がスニーカー履いてんだ?とか、クレームあったのか知らないけど。靴、なんだってよくね?
先日読んだ『百年の女 – 「婦人公論」が見た大正、昭和、平成』(酒井 順子著/中央公論社)という一冊。「婦人公論」が創刊100周年にあたり、時代とともに日本の婦人像を紐解く、というもの。これがすこぶる面白くって、子たちを公園で放牧させつつ黙々と読破。 戦前の女性は選挙権すらなく、人間扱いもされず、女のくせに女ごときがと言われるのが当たり前だった頃から比べると、まさに隔世の感ひとしおではあるけども、まだまだ無意識に我慢していること、同調圧力に負けざるをえないこと、山のようにある。家事育児の分担性差などなど。一気に世界を変えれないので、わたしの見える世界から、息子たちや夫に対してから、じわじわとわがままになっていこうと思う所存。娘と私の将来のために。