シーブルーの髪の毛にメタモルフォーゼしたらしきマリ嬢へ。熱い熱風吹きすさぶ暑い夏、いかがお過ごしですか。例年、我々の住む京都北部は田舎だから涼しいよねーって感じで夏は悠々自適に過ごせていたけど、去年と今年の夏の振り切れ具合ったら!!灼熱!冬にべらぼうに光熱費がかかるのを見越し、夏はノーエアコンで扇風機と窓からの風を頼りに過ごしてこれたけど、もうだめ。風に頼ろうたって熱風が吹きすさぶここはアラビア砂漠地帯かよ。
前回のお手紙 を拝読し、ママ友、というカテゴリーについて考える。育児中ならではの共通言語を介して繋がる母と母。おむつのメーカー、離乳食についてから子どもの習い事、プリキュアのスタンプラリーからダークサイドオブ育児についてなどなど、その時期その境遇だから通じ会える言語を介してのコミュニケーション。もちろん母だからみんなトモダチみんなナカマってわけではなく、ママ界にはいろんな思想信念であっさりかつどろっと流派がある。ひとくくりにママと言えども、0歳児のママ、小学生のママ、高校受験を控えるママでレイヤーが異なる。つい4年前まで私も0歳児を育てていたはずなんだけど、たった4年のブランクでもう赤子対応や月齢に対応するおもちゃの選び方など忘れてしまった。一生50~70サイズの服を選び続けるのかと思ってた頃もあるのに今や陳列棚を見向きもしない。
同じレイヤーにいるママ同士でも、ママという共通言語を飛び出してまで仲良くなる人というのは私にとっては一握り。その壁をひょいひょいと飛び越えられる心理的フットワークの軽さがほしいものだけどなかなか苦手で。そこで私は、趣味嗜好が同じかどうかより、そこにかける熱量が似ている人にはより一段と心を開ける。ヲタクであるなしではなく、一種のヲタ気質がある人に惹かれる昨今。なにかに盲目に熱中して夢中になってる人って狂気はらんでていいよね…(褒めてる)。
それはさておき、言語について。言語というても日本語英語といった語学のみではなく専門用語というか。私は下手の横好きながら鍵盤を10年間習っていたので、楽譜読めるし音楽理論も浅いながら分かる範囲は分かる。子たちにも音楽に触れ合ってもらいたくてなにかしら楽器を弾けるようになってほしいなと思うのも、音楽という言語で会話したいから。フィーリングとかニュアンスとかも大事だけど、言語が通じる人同士、話が通じることがそりゃ多い。私には言語が理解できない領域もたくさんあるけど、興味があるなしに関わらず、それについてその言語で意気揚々と語り伝えてくれる人のことはすぐ夢中になってしまう。それが法律だろうが科学だろうがwebだろうが。
ということで、今まで興味を持って「踊る阿呆ではないけど見る阿呆」タイプとしてアートを見てきた部分と、自分の人生に今まで縁遠かった福祉という分野をマリちゃんの解釈で捏ね繰り回して思案構築している話を聞くのは、脳みそがビンビン喜ぶのを感じてます。
って最後急激にラブレターのような着地点。