イシワタ
今日言いたいのはね、「障害と呼ぼうが呼ぶまいが、人間誰しも欠点を持っていてちょっとマヌケ。そんな視点から共生社会を捉え直してみませんか。」(広報チラシより)っていうことです。・・・丸山さんはお医者さんから「典型的なADHD(※1)」って言われたんだよね。
丸山
そうそう。サラリーマンやってた頃ね。自己紹介がてら経緯を話しますと。名古屋で美術系の高校出て東京で美大に進学して、先生と喧嘩したりもして絵描くのつまらなくなってしまって、そのあと出版社で働いたり、京都でデザイン事務所を開いたりしてるうちに、ご縁があって丹後に来て。そこで4年半くらいサラリーマンを経験したんですけど、辞めて今は自分の会社を立ち上げてデザインや写真の仕事をしています。サラリーマンの頃は、仕事自体は楽しくて仲間にも恵まれていたんですけど・・・なんか、やってられなかったんですよ。わかんないけど、問題はないはずなんだけど、言葉では言えない何か違う感じがあって、それがだんだん大きくなって、これどうしたらいいんだろうなって。もともとADHDとかの存在は知っていたので、検査してみて薬とかで治療すべきなのかな、と思って病院に行きました。そしたらお医者さんがすごく話を聞いてくれて、働き方について延々話して。薬飲んだり治療しながらサラリーマンを続けるっていう選択肢もあるし、そうではなく会社を辞めて自分で何かするというのもいいんじゃないかなとお医者さんが言ってくれて、まあ辞めてもいっかと思えたのが一昨年。今のところオッケーかな。
イシワタ
その、心療内科とか精神科で受ける「心理検査WAIS-III」ってテストね、私も受けたんだよ。そしたら数値的にぎりぎりボーダーだけど違います、って言われたのよ。
丸山
うそー(笑)。
イシワタ
「ADHDの傾向あり」ぐらい。そのときにね、あーその数値自体はどうでもいいなと。ポイントは、本人がそんな検査を受けるに至るくらい困って悩んでたってことじゃないですか。その数値表って、得意なことと苦手なことが凸凹(デコボコ)してますねっていう表なんですけど、それを見て、むしろ得意と苦手が凸凹してない人間なんてこの世にいますか?って思ったんですよ。発達障害の人が特別なんじゃなくて、凸凹してることをなぜ悩まなきゃいけないのか?と。
櫛田
凸凹じゃなかったら世の中が成立しないよね。凸凹があるからどっかにそれと重なるピースがあるわけで、丸だったらつんつるてんのままで全然交わっていかない。
イシワタ
丸山さんはさ、ことさら公言してもないけど隠してもないって言ってたよね。
丸山
O型です、ぐらいの感じです。
イシワタ
でも、丸山さんは第一印象がきちんとしてるから、裏切られ感があるんです。丸山さんに励まされて不可能を可能にしてきた人がたくさんいるであろう一方で、明るくて調子のいいことばっかり言って連絡取れなくなっちゃったりするから、実際ムカつくのよ。でも、そこに対する本気の苦情を耳にしたときに、私、1週間くらい考え込んでしまって。人間とはそもそもマヌケで可愛い生き物であるっていう前提を受け入れられたら、世の中もっと自分の弱さも他人の弱さも肯定できるんじゃないかと思って・・・。
丸山
イシワタさんはどうなの?だってイシワタさん・・・。
イシワタ
だってって何だよ(笑)。いや、私は自分を肯定できないよ、大半が。私の場合は家事とか子育てとかがすごく難しくて、わからなくて。私が「アート」に頼ってきたのは、生き延びるための知恵みたいなもので。100人いたら100通りの強みをただ「私はこれだよ」って言える世界がそこにあるからなんです。もし「アート」っていう言葉自体が地域社会で必要とされていなかったとしても、その機能は活かせるんじゃないかなって。とにかくみんな力を持ち寄って、生き延びることを考えよう、アートだろうがなかろうが、福祉だろうがなかろうが、ADHDだろうがなかろうがそんなことはどうでもいいから、とにかく生きよう、と。
イシワタ
丸山さんと櫛田さんには、自分を肯定する力がありますよね。櫛田さんのそのポジティブさってどこから来るんですか?色々大変なこともあるだろうに。
櫛田
人との出会いじゃないですか。生きようって思えるエネルギーってたぶん結局誰かに支えられてるという感覚から来ると思う。僕、めちゃくちゃラッキーなんですよ、良い人に出会えるんです、いつも。大学でサッカーをやっていた頃、へたくそだけど足だけはすごく早かったんです。それで大学3年までは監督に怒鳴られてばかりでサッカーがつまらなくなってたのに、最後の年に監督が代わって「できないことをやろうとしなくていい。できることを最大限に活かせ」って、とにかく走る役として試合に出してくれるようになって。結構ね、出会いによってピンチを切り抜けてきた気がする。いろんな人に支えられて生きてるから、その人たちと一緒に生きていると思うためにも自分がハッピーであるほうがいいなと。
イシワタ
なるほど。それなら私にもわかるかも。
櫛田
自分のいちばん得意なことをやっていればチームに貢献できるし、できない部分はほかの人たちが補ってくれる。尖ってていい、突き抜けて好きなものを好きでいていいっていう社会をもっと作っていけたらと思う。僕は、こだわりのある人の話を聞くのが好きなんです。人前に出たり挨拶するのが苦手だけどロボットが好きな子がいてね、オタクって言われるからロボットが好きって言えないんですけど、だけどこの国を支えてるのってみんなオタクじゃないですか。挨拶できない子に無理やり挨拶させて「やっぱり挨拶はいいな~」なんて言ってるんじゃなくて、挨拶なんてできなくていいからずっとロボットのこと考えてたらいいと思う。そういう子からロボットの話を聞いてると、わからないんだけどすごいなあと思うし楽しくなる。わからないからおもしろいんです。
イシワタ
櫛田さんは私のこともそのように扱っていただいて感謝でいっぱいです。組織のルールみたいなものがわからなくて胃が痛くて禿げるかと思いましたけど(笑)、自分の思うようにやっていいと背中を押してくれた。
櫛田
「常識」をわかろうと努力しかけてたみたいだけど、全然上達しないから(笑)。もうそのまんまでいいです、別に普通になってもらわなくていいです、っていうのはあります。
イシワタ
櫛田さんは、第一印象が清くて正しくて強いんです。まぶしすぎて自分が恥ずかしくなってしまうんですよ、私なんかは。そもそも福祉の世界で「支援される側」の立場の人って自分を肯定しにくい状況に置かれているのに、「支援する側」が清く正しすぎるとちょっとつらいでしょ。でも実際に関わっていくと、櫛田さんってほんとはもっと柔軟だし、目の前の人をちゃんと見てるよ。ならば、「櫛田さんカリスマ!素晴らしい!さわやか!完璧!」みたいに扱う空気は間違ってるんじゃないかって思うんです。この看板(※2)とか、もっと茶化したほうがいいよ(笑)。
櫛田
僕は、一般的に伝わりやすい言葉でプレゼンテーションするのが得意なんです(笑)。でも、僕たちが本当にサポートしたい人たちって実はそういうきれいな言葉がなかなか入ってこない人たちだったりするんですよね。これからの福祉がもっともっと、本当に人のすぐそばにあるものになっていくために、凝り固まった頭をぶっ壊していかなきゃいけない。そう思えた背景には、「常識」が通用しないイシワタさんとの出会いもあります。
丸山
社会というものが不変で、自分という人が障害者で、なんとか社会のレールに乗らなきゃいけないとしたらしんどいけど。でも、社会のほうから歩み寄ってきてくれる可能性もあるから、仲間を見つけることができたらハッピーになると思います。
櫛田
お互い様ですからね。
イシワタ
ひとりひとりはマヌケだけど、力を持ち寄ったらすごいことができるかも、と考えた時に初めて自己肯定感を持てる。
丸山
僕のこと嫌いな人もいるんです、でも日本の人口って案外多くて、殴り掛かってさえ来なければ勝手に遠ざかっていくだろうし、僕も自然と離れていくし。
イシワタ
ポジティブだね。
丸山
だからきっとつらいのは、閉じた人間関係の中で生活してる人だと思うな。せまい環境で周囲と合わなくなってしまうとしんどいよね。本当は、外に行けば自分を認めてくれる人や必要としてくれる人がいるかもしれないんだよ。言いたいのは、僕とかイシワタさんでもなんとかここまでやってこれたってこと。こんな僕たちもとりあえず生きてて、まあ、人から憎まれたりもするけど、好きでいてくれる友だちもいて、生きていけるんだから。
イシワタ
そうそう、それが言いたい。こんなマヌケな人たちも生きてるってこと。ひとりひとりのしんどさはそれぞれにしかわからないけど、困ったら思い出してほしい。この人たち、生きてるから。
丸山
僕たちは、肯定する力を持てたから死ななかった。学校だったら怒られるけど、社会に出ると案外、「それおもしろいね」って言ってくれる人にも出会えたりするんです。「これが正しい」っていう当たり前のルールだけだとしんどくなったりもするけど、それを守るだけじゃなくて新しいルールを見つけてきたほうが勝ちっていう場面もある。
櫛田
僕には勉強のできる姉が2人いて僕だけ成績が悪かったんですけど、好奇心だけは負けなかったんですよ、バカゆえになんでもやってみる。どんくさくてケガしまくってたの。でも、ケガするけど、これやったらめちゃくちゃ痛いでっていうのを経験してるからケガしないようになるし、ぎりぎりまでチャレンジしたからぎりぎりの楽しさを知っているんですよ。そういう意味ではやっぱりいろいろ挑戦できることは大事。寛容に楽しく生きていきたい。
イシワタ
そういうとこもっと出してくださいよ、ほら、こうして見れば櫛田さんも結構マヌケ・・・って言いにくいけど。
櫛田
いや、いいですよ全然(笑)。
イシワタ
それでもこうして人前で言葉を発せる立場にいる時点で、拭えない強さみたいなものはあるんです、たぶんこんな私にさえね。櫛田さんの場合は管理職だし部下がたくさんいるわけだからなおさら仕方ない。それでも、「櫛田さんってすぐついついきれいにまとめたがっちゃうからマヌケで可愛いよね」ぐらい言える空気を作りたいんです。障害があるかどうかの線引きを捨てて、人それぞれのマヌケさを愛でたい。
櫛田
今日の話は噛み合っちゃったんじゃないの(笑)?
イシワタ
全然噛み合ってないですよ(笑)。噛み合わないしまとまらない、でもそういうもんだ、って認めることからしか始まらないから!
ADHD:多動性、衝動性、不注意を特徴とする神経発達症もしくは行動障害。
櫛田さんがプレゼン大会でグランプリ受賞した際の、「社会福祉ヒーローズ」賞の大きな肖像パ ネル。櫛田さんが実習センター長を務めるマ・ルートに飾ってあったり隠してあったり。
1983年横浜市生まれ、福知山市在住。慶應義塾大学で「スピリチュアリティにまつわる社会学」を学んだのち、2007年から2009年にかけて、スペイン北部バスクやベルリンで絵画やパフォーマンスなどの創作活動を行う。2015年以降、京都府北部~広く山陰地域=「このあたり」を舞台に、さまざまな人が力を持ち寄ってとにかく生きようとするプロジェクト「山山アートセンター」構想を展開。2018年より高齢・障害・児童の複合福祉施設Ma・ RooTs(みねやま福祉会/宮津市)広報兼アートコーディネーター。
1982年名古屋市生まれ。東京芸術大学で日本画専攻を卒業後、大阪大学でワークショップデザインを学ぶ。フリーランスの写真家、デザイナーを経て、2013年に京都府「文化の仕掛人」就任をきっかけに京丹後へ。デザイン業務と併せて2018 年より京都丹後鉄道久美浜駅の駅舎に地元のフルーツを使ったスイーツを提供するカフェ「Culoco(クロコ)」を経営、地域活性化の「黒子」として暗躍する。
1982年京丹後市生まれ、在住。学生時代はJリーガーを夢見、その後福岡の児童養護施設職員を経て故郷の京丹後へ。実の祖父母が戦災孤児の受け入れをきっかけにスタートした現法人の職員となる。「福祉の力で世界を変える」を掲げ、福祉現場を拠点に人と人が交流するようなまちづくりを目指す。社会福祉への理解を深めるために創設された「社会福祉ヒーローズ」賞に表彰され、表彰者プレゼン大会でグランプリ受賞。